北村滋著「情報と国家」を読む
-特定秘密保護法・共謀罪・デジタル庁を進めてきた北村滋氏が次に目指すのは内閣直属の情報局(JCIA)の設置だ!-
海渡 雄一
内容
1 北村滋氏の略歴 1
2 北村滋氏「情報と国家」の刊行 2
3 「外事警察史素描」に見る戦前回帰の大日本帝国史観 3
4 「内閣総理大臣と警察組織一警察制度改革の諸相」にみる国家警察再興の夢 4
5 次々に設立される官邸周辺の情報機関 6
6 北村氏の次なる野望は内閣情報局(JCIA)の設立だ 6
7 情報機関のセクショナリズムに対する自戒のことば 9
8 経済安全保障の提案 10
9 北村提言の問題点 11
1 北村滋氏の略歴
2012年7月7日まで国家安全保障局長の職にあった、北村滋氏が9月に初の書籍『情報と国家』を中央公論新社から刊行された。
北村滋氏は、東大法学部卒で1980年に警察庁に入庁した。
フランスの在外勤務の経験を経て、2002年徳島県警本部長、2004年警備局警備課長、2004年警備局外事情報部外事課長を経て、第一次安倍内閣時に内閣総理大臣補佐官を務めた。
2009年兵庫県警本部長、2010年警備局外事情報部長、2011年に長官官房総括審議官を経て、2011年に野田内閣で内閣情報官に抜擢された。
まさに、警備公安警察のエースだと言っていいだろう。
彼を取り立てたのは仙谷由人官房長官であったといわれる。第二次、第三次、第四次安倍内閣の中途まで実に7年8か月にわたって内閣情報官の地位にあった。第四次安倍第二次改造内閣で国家安全保障局長に任命され、菅内閣においても再任された。2020年12月に米国国防総省特別功労賞を受けた。2021年7月に退任した。
2003年政府は共謀罪法を国会に提案した。この際には、国内にこのような立法の必要性はないが、国連越境組織犯罪条約批准のためにこのような立法が必要なのだと説明していた。この時点での共謀罪立法の推進勢力は外務省と法務省であった。2005/6年には国会審議が始まったが、日弁連の強い反対もあり、法案は廃案に追い込まれた。民主党政権下では、とりわけ平岡法務大臣の下で共謀罪法なしに条約を批准する途も模索されたが実を結ばなかった。
2012年に始まった安倍政権はまず、2013年に国家安全保障会議設置法と特定秘密保護法を制定した。これを進めたのは内閣情報官の北村滋氏であった。
その後、政府は共謀罪法の制定を目指し、2017年に成立させた。その推進力は、やはり公安警察出身の官邸官僚である北村滋氏であった。共謀罪推進の主役が、途中で交代したということは、私自身が間近に体験した衝撃的な事実であった。
2 北村滋氏「情報と国家」の刊行
その北村氏の初めての著書の刊行である。3000円の大著である。少し長めの書評を書いてみることとする。
この著書は、「1章情報と国家」が書下ろしであり、内閣に情報機関を置くことを提案している。
「2章我が国の情報機関の歴史的考察」は、情報機関と秘密保護法制に関する考察であり、北村氏の期間の論考である。
「3章フランスの情報機構」は、北村氏がフランスに在外勤務した際に書いた論考をまとめたものである。
「4章警察組織の変遷」は200ページ以上を占める本書の核をなす部分であり、北村滋氏の論文「内閣総理大臣と警察組織一警察制度改革の諸相」(安藤忠夫、國松孝次、佐藤英彦編 『警察の進路~21世紀の警察を考える~』 所収 平成20年 東京法令出版)を核とした、北村氏の警察組織論をまとめたものである。
「5章情報と行政」は犯行再現ビデオや交通情報提供事業について書かれた小論という構成になっている。
私は、特定秘密保護法、共謀罪、デジタル監視法、重要土地規制法などに反対する中で、北村滋氏の考え方がこれらの立法に色濃く反映されていることを強く感じ、本書に集められている論文、とりわけ第2章の「外事警察素描」と第4章の「内閣総理大臣と警察組織一警察制度改革の諸相」にふたつの論文は熟読してきた。今回、北村氏が書かれてきた諸論考に加えて、我が国における中央情報機関を内閣に置くべきだと主張・提案されている第1章を加筆して刊行されたことは、このような動きに対して批判的に対応しようとする市民にとっても、意義深いことであると思う。
私は、北村氏の見解には賛同しかねるが、国の政治の中枢にあり、多くの政策を立案する中心にあった官僚が、自らの考えるところをこのような形でまとめ、広く市民に読むことのできるような形で明らかにしたこと自体は、フェアプレイとして率直に評価したい。その努力に敬意を込め、北村氏の考え方のどこが我々と異なるのかについて考え、私たちにとっての課題をまとめてみたい。
3 「外事警察史素描」に見る戦前回帰の大日本帝国史観
本書の第2章に採録されている北村滋「外事警察史素描」(講座警察法3巻 2010年頃執筆)には、次のような記載がある(140ページ)。
「これらの防諜法規を適用し、昭和16年10月、警視庁は、ドイツ等の新聞社の特派員として8年聞にわたって我が国で活動し、我が国の政治、経済、軍事等の機密情報を収集し、ソ連に報告していたドイツ人リヒアルト・ゾルゲを逮捕するとともに前後して彼を中心とする諜報団の関係者を逮捕した。
ゾルゲらは、日本が北進してソ連攻撃を行うか、南進して米英との戦争に向かうかの状況判断に全力を集中し、また、ソ連擁護の立場から、南進論へと政策を志向させるべく活動した。ゾルゲによってソ連に報告された情報には、独の対ソ攻撃予定、日本の独ソ職不参加等の重要なものが含まれており、最終的に検挙には至ったものの、その被害は極めて甚大であった。」
北村氏は、さきの戦争を一貫して「大東亜戦争」と呼んでいる。そしてその敗戦を防諜活動機能の剥奪と捉えている。大東亜戦争が正義の戦争であり、その戦争に敗北したことを悔しがっているようにしか見えない。北村滋内閣情報官のこの歴史観こそが、安倍政権の改憲姿勢の根幹である。北村氏は、日本の敗戦を次のように捉えている(141-143ページ)。
「終戦により外事警察を取り巻く環境は一変した。ポツダム宣言は我が国において軍国主義を支持した権力及び勢力の永久の除去について言及した。
10月4日、司令部から「政治的、公民的及び宗教的自由に対する制限の撤廃に閲する覚書」が発せられた。この覚書は、政治的、公民的及び宗教的自由に対する制限ならびに人権、国籍、信教ないし政見を理由とする差別を撤廃することを目的とするものであったが、①一切の秘密警察機関及ぴ言論、出版、映画、集会、結社等の検聞ないし監督に関係する一切の機能の停止、②内務太臣以下の特高警察関係全職員の罷免を行うべきこと等を内容とするものであった。
当時の東久遁宮内閣は、内務大臣以下全国の警察首脳部が一斉に罷免され、特高警察が廃止されては、内閣として国内の治安の確保に責任が持てないなどの理由から、翌5日総辞職した。
内務省においては、この覚書に基づき、翌6日を期して全国一斉に外事警察を含む特高警察の機能を停止するよう全国地方庁に指示をし、罷免されることとなった警保局長以下の官吏は、4日付けで辞表を取りまとめ、内務大臣に提出した。」
「防諜、国体護持、治安維持のための作用法はことごとく消滅した」
また、ここでは戦後の法制度の中で欠けているのが秘密保護法制であることが明確に指摘されている(159ページ)。
「我が国の占領終了、独立とともに再生した外事警察は、戦前・戦中からの対諜報活動に加え、国際テロ、朝鮮による日本人拉致容疑事案、大量破壊兵器関連物資等の不拡散対策といった新たな課題にも取り組んできた。
こうした謀題に対応するため、警察庁及び都道府県警察における外事警察の機構面の整備も進められてきた。一方、権限面では、国際社会が協調して対策を講じる必要性が強いテロ対策や安全保障貿易管理に関する法令等の整備は情勢の変化に対応して一定程度進められてきたものの、外事警察の本来の役割である対諜報活動に関しては、我が国の機密を保護するための防諜法規が未だ整備されないなど、決して十分とは言えない状態にある。」
この歴史的総括を読めば、特定秘密保護法の制定が、敗戦によって治安維持法と軍機保護法を失った特高警察の復活をかけた悲願であったことがはっきりとわかる。
北村氏は、「情報と国家」の前書きで、「内閣情報官時代に手掛けた、特定秘密保護法は、我が国の外交、防衛、防諜及び対テロリズムの四分野の情報保全を高度化し、同盟国や同志国との情報交換の在り方を劇的に変化させた。また、CTUJ(国際テロ情報収集ユニット)は、長年の悲願でもあった対外情報組織の嚆矢ともいうべき存在であり、今後の更なる発展が期待される。」と述懐している(4ページ)。
4 「内閣総理大臣と警察組織一警察制度改革の諸相」にみる国家警察再興の夢
この論文は、戦後の警察制度改革の歴史的な経過を跡付けたうえで、今後の警察の国家的な位置づけについて論じたものである。
「以上述べてきたとおり、内閣総理大臣の国の警察行政機関に対する関与の在り方は、両者の関係を規律する法律により区区であり、特に、緊急事態における警察行政機関に対する内閣総理大臣の直接的な統制等の有り様を見るとき、従前の通説のように、両者の関係を表す「所轄」を「指揮命令権のない監督というべく、指揮監督よりは更に弱いつながりを示すものである。」と一概に断じ得るかについては、一考を要するのではないか。」(430ページ)
さらに、同論文は次のようにまとめられている(431-433ページ)。
「戦後の新たな警察制度構築に向けた総司令部と内務省当局との聞の交渉は、戦前・戦中と統治機構に君臨した内務省自体の解体と大日本帝国憲法下における国体護持の支柱と考えられた国家警察の徹底した分権化を目指す総司令部、そして、この内務省自体を換骨奪胎し、現行憲法に適合する形で存続させ、さらに、警察機構についても引き続きその影響下に置こうとする内務省当局との熾烈な折衝の過程ということができる。」
「マッカーサー書簡により裁定され、また、旧警察法により具現化された新たな警察の有り様は、当時の内務省警保局の予想をはるかに上回る徹底した分権化、民主化を図るものであった。しかしながら、現実を無視した理念先行の改革は、結局、我が国の風土、そして、治安の現場に根づくことはなかった。」
「現行警察法下における警察の中央機構に対する改革提言は、第一次臨調を最後として、地方行政をいわば切り口とし、内務省類似の組織として、国の警察組織と地方行政の管理部門とを統合するという考えはむしろ少数となり、その意味で、「内務省の復活」は、過去のものとなりつつあると言えるのではないか。
むしろ、近年においては、内閣の危機管理機能を強化するという観点から、警察、海上保安、麻薬取締り、そして入国管理といった治安保安機構を統合するという考え方が大きな趨勢であり、・・・中央省庁等改革において、国家公安委員会が内閣府の外局として位置付けられることとなった経緯においても、その論拠として緊急事態における内閣総理大臣と国の警察組織との関係が挙げられたことにも注目すべきであろう。
一方、内閣の危機管理機能が強調されればされる程、また、行政改革会議の中間報告のように、仮に国家公安委員会の下に治安保安機構が統合されるような方向となれば、合議制である行政委員会一般に内在する問題としての国家公安委員会の意思決定における迅速性の限界や国家公安委員会と内閣の首長たる内閣総理大臣との意思疎通の在り方等が問題とされる局面も生じてこよう。」
この論旨は、戦後の内務省の解体によってつくられた地方自治体を基盤とする警察を戦前の国家警察型に復活させようとする意図の存在を感じさせる。緊急事態における内閣総理大臣の権限を介して政府と警察組織の間に直接の指揮命令関係があるものと論じようとしているようにみえる。
このような発想が、デジタル庁を内閣府ではなく内閣に置き、そのトップをデジタル大臣ではなく内閣総理大臣とした制度設計などに反映しているように見える。
また、今国会で同時に成立した土地規制法は、基地や原発、あらゆる生活インフラ施設の周辺の土地を保有、利用したり、これらの土地に出入りする多くの関係者の個人情報を調べ上げ、内閣総理大臣に情報を集約するための法律であるが、同法において、内閣総理大臣は、市民活動にさまざまな規制を行い、その規制に従わないときには刑罰の対象としようとしている。土地規制法の条文には「内閣総理大臣」という言葉がなんと33回も登場する。まさに、内閣総理大臣による独裁の実現を目指しているかのような法律だ。
5 次々に設立される官邸周辺の情報機関
政府は、デジタル関連法案に関する国会答弁において、デジタル庁はITシステムの共通仕様化を図るだけで、みずからデジタル情報を集めるようなことはしないと、繰り返し答弁し、デジタル庁が監視社会化につながる危険性はないと言明した。
しかし、各行政機関 や地方自治体の保有個人情報がデジタル庁と同じ内閣に置かれる内閣情報調査室、土地規制法に基づいて内閣府に設けられる情報分析機関、国家警察化する公安警察組織、さらには今後設置される予定とされる警察庁サイバー局サイバー直轄隊等は、生身の個人情報を収集し、管理・分析することができる組織である。
内閣に置かれるデジタル庁をハブとして、内閣に置かれる内調、内閣府に置かれる重要土地に関する情報の分析機関、サイバー直轄隊などは連携して、 中央国家情報機関=JCIA を目指しているように見える。
デジタル庁は内閣に置かれ総理大臣に直接仕える機関であり、他の行政機関より優位に立ち、勧告ができ、他の官庁は勧告を尊重しなければならない。この組織原理に倣って内閣情報局(JCIA)を設立することが、北村氏の野望であるように見える。
6 北村氏の次なる野望は内閣情報局(JCIA)の設立だ
内閣の危機管理機能強化を唱え、官邸・内調と並んで内閣総理大臣を長とし、デジタル情報を集約するデジタル庁が内閣府を構成する官庁としてすべての省庁に君臨するような形となった。
「情報と国家」の前書きには、同氏が役人人生の中でやり残した課題について次のようにまとめられている(30-34ページ)。
「かかる努力にもかかわらず、我が国の情報機関や国家安全保障機構は未成熟であると言われる。その根底には、本書の「外事警察史素描」や「内閣総理大臣と警察組織」でも指摘したように、それを「戦後レジーム」と呼ぶか否かは格別、終戦、占領期を通じて我が国に与えられ、その後の在り方を規定したこの国の形がある。
米中対立が激しさを増す中、米国の前方展開戦略の最前線に位置する我が国、その生き残りに不可欠なのは、正鵠を射たインテリジェンスに基づき考え抜かれた総合的な安全保障戦略である。
今年六五歳を迎え、高齢者の仲間入りをする。「日暮れて道遠し」の感は否めない。インテリジェンスや安全保障を志す方々が本書を手に取り、著者の思考過程を辿って、その問題意識を基に更に政策を発展させていただくことを念じてやまない。」
そして、本書の第一章には、北村氏の内閣情報官と国家安全保障局長の経験を踏まえて、次のような具体的な制度提言が示されている。まさに、この部分こそが、本書の中で北村氏が最も強く主張したかったことがらであろう。
「内閣のインテリジェンスの在り方について、あくまで私見であるが、幾つかの提言を行うこととしたい。
第一に、我が国が真に独立した国家としての戦略を策定し、遂行するために必要なインテリジェンス機能の強化を目的とするのならば、「内閣の重要政策に関する情報の収集調査に関する事務」(内閣法第二一条第二項第六号)、すなわち、「内閣の重要政策に関する情報の収集及び分析その他の調査に関する事務(各行政機関の行う情報の収集及び分析その他の調査であって内閣の重要政策に係るものの連絡調整に関する事務を含む。)」(内閣官房組織令[昭和三二年政令第一二九号]第四条第一項第一号)をつかさどる内閣情報調査室の改編、拡充強化がまずもって図られるべきである。
この内閣の情報機能の強化という視点なくして、個々の府省における「情報機能強化」に向けた「改革」や取組は、むしろ我が国のインテリジェンス・コミュニティ内部の分散的契機を助長し、内閣の重要な政策決定に係る情報の伝達、集約及び分析を混乱させることに通じることになりかねず、むしろ有害である。
第二に、内閣情報調査室の改編、拡充強化に当たって留意すべきは、改編、拡充強化された機関(以下「内閣情報機関」という) は、内閣の事務を助けるとともに、独立し、かっ、恒久的な行政機関としての体裁をとる必要がある。
具体的には、現在の内閣情報調査室の「局」等への格上げが検討されるべきである。この場合において、当該組織を内閣に置くか、内閣官房に置くかが一つの問題となる。当該組織の独立性及び恒久性を重視するのであれば内閣法制局のように内閣に置かれる機関となるであろうし、現行の内閣官房の所掌事務との継続性、政策部門との近接性、インテリジェンス・サイクルの迅速性を重視するのであれば、国家安全保障局のように内閣官房に置かれる機関となろう。また、内閣情報調査室の内部部局についても、従前の総務部門、国内部門、国際部門、経済部門をそれぞれ、「部」に格上げするとともに、画像情報、カウンター・テロリズム、情報解析等の分野における一次的情報収集能力を更に強化すべきである。
同時に、内閣情報機関を、民主的観点から、国民を代表して管理・監督し、国会に対して政治的責任を明確化するという意味において、国会議員の資格を有する担当大臣又は担当補佐官を設置することを検討すべきである。
第三に、対外政策、安全保障、危機管理に際しての意思決定が、総理大臣のリーダーシップの下で適切に行われるためには、必要な情報が情報関係者と政策決定者との聞で迅速に共有されることが不可欠である。これまで、府省が取り扱っている情報のうち、我が国の対外政策、安全保障、危機管理の基本に関わるものは、いわば府省の自主性に基づいて内閣官房を通じて内閣へ提供されてきたところであるが、かかる情報を高度な保全を前提としつつ制度的に内閣に集約する仕組み、すなわち、法令上の権限として、内閣情報機関の長の各種情報に対するアクセス権が保障されるべきである。
さらに、内閣情報機関には、次長若干名を置き、うち、外務省国際情報統括官、防衛省情報本部長、警察庁外事情報部長及び公安調査庁次長は、同機関の次長を兼務することとし、外交情報、防衛情報、警察情報及び公安情報が制度的に内閣情報機関の長にもたらされることを確保すべきである。
第四に、我が国のインテリジェンス・コミュニティが有機的かつ機動的に運営されるためには、その中核をなす内閣情報会議及び合同情報会議を抜本的に改組し、その透明性を確保するという観点からも設置根拠を法律で規定すべきである。内閣情報会議は、現在、関係省庁の次官級の会議体であるが、これを閣僚級に格上げした上で、いずれも仮称であるが年次情報評価書、年次及び中長期情報活動計面の審議決定機関とすべきである。また、これらは情報活動の民主的統制という観点から、情報保全上の措置を施した上での国会への報告の在り方を検討すべきである。また、こうした場における内閣情報機関の長の総合調整機能を強化することが必要不可欠である。
第五は、対外情報機能の強化についてである。
2015年1月に発生した「ISILによる邦人人質殺害事件」を反省教訓として、同年12月、「邦人人質事案等の国際テロ事案を未然に防止し、また、発生した場合の有効な対処を実現していくため、国際テロ情勢に関する情報収集を含む国際テロ対策の強化に関する日本政府全体での取組を推進する観点から」(平成二七年[二O一五年] 一二月八日外務省訓令第二五号)、外務省にCTUJ (国際テロ情報収集ユニット)が設置されるとともに、内閣官房に国際テロ情報集約室が設置された(平成二七年一二月四日内閣総理大臣決定)。これらは、前者が実施部隊、後者が司令塔という形でインテリジェンス・コミュニティの総意として設置されたものであり、国際テロ情報に局限されてはいるが、海外における情報収集に特化した組織であり、その体裁から言っても対外情報機関の嚆矢とも言うべきものである。今後はその情報収集目的を大量破壊兵器の不拡散、経済安全保障といった分野に拡大し、更に人員組織も充実強化を図るべきである。
第六は、人材の育成についてである。
情報活動には、それに従事する職員の適性が要求され、事務の専門性に合致する教育訓練が必要である。また、情報は、個々の府省の所掌事務の範囲にとどまらず、我が国の対外政策、安全保障、危機管理等の基本方針の決定の基礎となるものである。したがって、人材の確保・育成は、一府省のみの視点において行われるべきではなく、正に国家の総合戦略の一部として取り組まれる必要がある。したがって、人材の育成は、内閣の統一した方針の下、インテリジェンス・コミュニティ関係省庁の既存の研修施設を最大限活用する一方、情報活動に従事する職員に対し様々な教育訓練を施すことのできる高度な研修施設を設置すべきである。」
まさに、包括的な中央情報機関設立の設計図が示されている。これが、現岸田政権にも引き継がれているのかどうかはわからない。しかし、すくなくとも、そのような可能性があるものとして、このような提案の問題点について考察していく必要があるだろう。
7 情報機関のセクショナリズムに対する自戒のことば
第1章のまとめである「終わりに」には、国の中における複数の情報機関のセクショナリズムを自戒し、内閣情報官のもとに、情報管理を一元化する必要性が強く説かれている(34-35ページ)。
「インテリジェンスの専門用語にstovepipes(ストーブの煙突)という単語がある。この単語を聞く度に思い出すのは、パリの古い家屋の屋根に林立する排煙筒である。これらは、それぞれのアパルトマンの暖炉に通じているが、それぞれの排煙が混じることはない(時には、煤で目詰まりを起こすことはあるが・・・。)。伝統的な情報組織は、正にこのような形の情報の伝達を指向してきた。なぜならば、一つの情報源に何らかの事故が生じても他に累を及ぼすことがないからであり、また、情報の流れが一筋であることからその保全も確実だからである。一方で、この言葉は、インテリジェンス・コミュニティに複数存在する情報機構のセクショナリズムや縦割りを榔撒する言葉としても用いられてきた。その最たるものは、何らの情報関心も与えられずに情報機構が生産するインテリジェンスの自己目的化と重複である。近年は、こうした弊害を克服するために政策決定部門との接点となり得る情報部門の統括組織、すなわち米国のDNIや豪州のONIのような機構が設けられる傾向がある。こうした組織の長の役割は、本稿の二2で述べたように、①インテリジェンス・コミュニティの代表者、②政策決定者とインテリジェンスの結節点、③政策決定者へのアドバイザーというものであり、我が国の内閣情報官もその下にある内閣の情報機構の更なる充実強化を図りつつ、正にかかる役割を十全に果たしていくことが求められている。」
これも、表向きには自らのセクショナリズムを自戒する言葉のようにも取れるが、内閣情報官の優位を確認し、そのもとに情報を一元化していくという宣言のようにも見える。
8 経済安全保障の提案
北村氏は、本書の前書きにおいて、「国家安全保障局長として経済安全保障の司令塔役を担う経済班を設置した背景には、外事警察に所属していた頃、我が国企業が手塩に掛けて獲得した機徴技術が合法又は非合法な手段で易々と海外に流出していく様を目の当たりにしたという原体験がある。」と述べている(4ページ)。
岸田内閣において、経済安全保障担当大臣という特命担当大臣が新たに任命されたが、これは、北村前国家安全保障局長の発案によるものだろう。
本書の1章においても、「経済安全保障とインテリジェンス」のタイトルで、次のような刺激的な内容がまとめられている(20-21ページ)。
「米中対立が先鋭化する一方で、コロナ感染症による各国のロックダウンや国境間の移動制限、自国優先の施策は、国際社会における分断の契機を助長するとともに、我が国においても、医事薬事分野におけるデジタル化の遅れや他国に過度に依存したサプライチェーンによる必要物資供給体制の脆弱性を露呈させた。一方、各国がポスト・コロナの国際秩序の在り方を模索する中、中国が主導するデジタル監視型・国家資本主義型のそれが台頭しつつあり、自由で聞かれた国際社会における既存の国際秩序を脅かしかねない事態となっている。
我が国としては、自身が抱える経済・社会の脆弱性を速やかに解消しつつ、我が国しか果たせない強みを活かす「戦略的不可欠性」や、特定国への過度な依存を回避して主体的に政策決定するための「戦略的自律性」を高めるとともに、国際社会においてはルール形成を主体的に担い、国際協調の中核となることによって、自由で開かれた国際秩序の再構築を追求しつつ、国益を最大限確保していく必要がある。
かかる政策目的を達成するために、経済安全保障戦略の策定が叫ばれている。経済安全保障について、今のところ確たる定義は存在しないが、以下の三つの局面において理解可能であろう。
①経済を、安全保障政策の「力の資源」として利用する政策(勢力均衡政策の一環としての経済の利用。エコノミック・ステート・クラフト)、
②国家・国民経済体系の存続・維持・発展への脅威に対処するための規制を始めとする各種政策、
③相互依存の深まった自由で聞かれた国際経済システムの維持である。
かかる経済安全保障の、①のエコノミック・ステート・クラフトが他の国際主体から我が国に対して行使される局面、②の国家・国民経済体系に対する脅威の評価において、インテリジェンスが極めて重要な意味を有することになる。一方、経済安全保障に関するインテリジェンスでは、対象となる経済主体の構成、ガバナンス、投資性向、特定国家との関係等が重要な要素となり、これまでインテリジェンス・コミュニティ構成各機闘が集積してきた情報とは異なる分野での情報の収集・分析が求められている。我が国においても、新たな情報線の開拓、情報収集・分析体制の充実強化が求められている。」
しかし、経済安全保障の過度の強調は、相互依存の深まった世界経済に、解決困難な紛争を新たに生じさせ、かえって経済的な混乱を生む危険性がある。例えば、土地規制法の施行により基地や原発周辺の土地の取引が国の監視下に置かれることにより、都市部の軍事施設の周辺の土地取引などに無用なブレーキがかかり、経済上の混乱と損害の新たな原因を作りかねないのである。
9 北村提言の問題点
以上、本書において、北村氏の述べたかった重要なポイントはほぼ紹介することができたと思う。
北村滋氏という公安警察・情報官僚が、明確な歴史観と国家像を念頭に、戦後レジームからの脱却を制度的に実現しようと努力し、安倍・菅政権という舞台で、そのかなりの部分を実現させたこと、そして中央情報機関の設立という野望を抱いていることがわかっていただけたものと思う。
逆に言えば、私たちが、この9年間取り組んできた、特定秘密保護法・平和安全法制・共謀罪・デジタル監視法・土地規制法との闘いは、この北村氏の構想するような国家像が、あらたな戦争を準備するものであり、日本国憲法の定めた平和主義の理念と真っ向から対立することを明らかにし、このようなシステムを実現させないための闘いであったといえる。
私は、2017年、共謀罪法が作られようとしているときに、彩流社から「戦争する国のつくり方」という本を上梓した。素晴らしい編集者に恵まれたおかげで、硬いテーマの本であるが、高校生の方々にも読んでもらえるように、戦前の戦争遂行の準備のためにつくられた法律制度を俯瞰できる、コンパクトな本になったと思っている。
https://www.amazon.co.jp/%E6…/dp/4779123143/ref=sr_1_1…
今年の国会でデジタル庁関連法案が成立し、引き続いて土地規制法も成立した。
日本は確実に戦争する国へと向かっているように思い、いまいちど、皆さんにこの本を読んでいただきたいなと思っている。
北村氏の提言の根本的な問題点は、政治をトップとこれに仕えるインテリジェンス・コミュニティという狭い範囲でしか見ていないことにつきる。
そして、そこにあらゆる情報を内閣総理大臣のもとに吸い上げ、それによって内閣・具体的には官邸の一握り人たちにすべての政策決定判断を委ねようという考え方に貫かれているように見える。
しかし、彼らには、日々の生活に呻吟する庶民の苦境はまったく目に入っていないようである。
コロナ禍が起きた際に、安倍官邸がやったことはすべてがとんちんかんであった。アベノマスクの配布、突然の全国休校。そして、PCR検査の充実、困窮する個人と企業への継続的な支援などの切実な政策も全く実現しなかった。そして、経済を回すと言って、GoToキャンペーンをやったり、空前の感染爆発状況でも反対の声を無視してオリンピックの開催を強行した。総理の目・耳となるはずの内閣情報調査室は、実際にはからきし役に立たなかったのである。その結果こそが、このようなインテリジェンスに依存した政治の本質だといえないだろうか。
インテリジェンスを強化するということは、社会の中に秘密の部分を拡大させるということである。一人ひとりの市民が、同じ情報を与えられ、今後の方策を討論して決めていくという民主政治の根本原理が危うくなるのだ。
土地規制法などによって、内閣総理大臣は個人情報を徹底的に集めて、個人に命令まででき、その違反に対して処罰までできる。市民の間に不信と密告の体系が作られる可能性があるのだ。戦前の日本が、あの無謀と言える戦争に突き進み、これを止められなかったことへの反省が、北村氏の論考には全くみられない。
北村氏にとっては、敗戦とポツダム指令によって日本が治安維持法と秘密保護制度を喪ったことへのルサンチマンが、このような制度の再構築の最大の原動力になっている。しかし、こういう体制を作ってしまうと、現実に状況が戦争に向かおうとするときに、声を上げ、これを止めることが難しくなることに全く無自覚である。
北村氏が唱えている政策体系は、日本をあの無謀な戦争へと追い込んでいった社会システムとほとんど変わらない機能を現代に復活させようとしている。現代の世界には、米中の緊張の空前の高まりなど深刻な国際紛争があふれている。紛争がより深刻なものにならないようにするためには、敵対的な関係に発展する前に、関係国間の信頼を醸成し、話し合いの手段を通じて危機的な状況を克服しなければならない。
アメリカと中国の対立は、ますます深刻の度を深めている。私たちは、この紛争を何とか平和的な話し合いによって克服し、戦争の危機を避けたいと思う。
北村氏は、「特定国への過度な依存を回避して主体的に政策決定するための「戦略的自律性」を高める」「国際協調の中核となることによって、自由で開かれた国際秩序の再構築を追求」すると言うが、実際やっていることは日本の社会システムを中国と同様の監視社会システムへと変え、市民の自由な言論・市民活動を難しくするという結果を産み出すだけのように見える。
端的に言って、北村氏が内閣情報官と国家安全保障局長を務めた期間、日本の政治は安倍菅政権の失政によってますます貧しくなり、人々の心は荒廃してしまった。そのことについての責任ある反省の言葉が本書には全くみられない。その点こそが北村氏が進めてきた日本を「戦争できる国」に作り変えていくという政策体系の誤りを端的に示していると私は考える。